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満州に建設された「県営農場」

 今になっては愚行そのものだが、若槻真治氏の研究で知ったことは下記の通りである。 「太平洋戦争中の熱狂した日本において、国民学校高等科卒業生(年齢14歳~16歳ぐらい)の満蒙開拓青少 年義勇軍への参加が熱心に推し進められた。1938年(昭和13)の第1次から1945年(昭和20)の第8次(渡満中止)までの 派遣では、島根県からは約1,300名が満州に渡ったという その目的は「将来の満州開拓団の中堅を育成する ため」であったという。中国黒竜江省衣蘭には島根県報国農場があり、ここには農業学校や青年学校、あるいは大東高 等女学校などのような女学校から学徒が派遣されたそうだ。 以上の記事は、若槻 真治「 松江市の戦争遺跡」『松江市史研究』3号 2022年3月 よりの引用。 なお、 島根県報国農場は以下の史料が参考となる 『島根県史 現代2』 『満洲開拓団史料集成』 島根県庁「引揚者援護記録」 依蘭県地方誌(中国側史料) **************「*******  戦前の 日本における「地方行政史」と「帝国のフロンティア政策」に関する考察の一助として、「県営農場」は良い研究Thema。 1. 「県営農場」とは何か(制度の共通枠) 性格: 県庁が主体となって満洲国に設置した「県直営の農場」 県が土地を借りる/与えられる 県が資金・技術者・指導員を派遣 入植者は「県内農民+青年団」が中心 目的: 日本本土の食糧不足を補う「海外食糧基地」 満洲国の「農業振興」名目 県内の「過剰人口」対策(農村青年の移民) 位置づけ: 個々の「開拓団」よりも 行政色が強い 県庁の政策として計画・予算・人事が動く 2. 長野県の県営農場 代表例: 長野県報国農場 (黒竜江省・吉林省方面) 県内の農村青年を組織した「報国開拓団」 特徴: 長野県は農業県として「農業技術指導」を前面に出した 県庁農政部門が主導し、農業試験場的性格も持つ 県内の農村指導者・青年団が骨格 ポイント: 「農業技術の輸出」としての側面が強く、 “模範農場”としての性格 が比較的濃い。 3. 新潟県の県営農場 代表例: 新潟県営農場 (黒竜江省・松花江流域) ①佐渡開拓団(佐渡農場) →  勃利県(旧濱江省/合江省 ②  五福堂新潟村 特徴: 新潟は「米どころ」として、 水田開発・湿地改良技術 を満洲に持ち...

「『敗戦国ニッポン』に帰りたくなかった日本人」

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<注釈:本稿の初出は、ソウル大学でのセミナーであった。口頭発表した後、韓国系アメリカ移民2世の研究者から開口一番、「光復後、韓国に一人の日本人も残ってきてほしくなかったし、将来とも来ても欲しくない」とコメントされた。私にとって、思い出深い発表となった。特記して、そのepisodeを紹介したい。 **************************** 「『敗戦国ニッポン』に帰りたくなかった日本人」                                 一 昭和20年(1945)8月15日正午、昭和天皇による終戦の詔勅は、帝国日本の全地域に放送された。難解な語句が続く言葉もそうであったが、それ以上にラジオの受信状態が悪かったために雑音が多すぎて、彼ら「帝国臣民」は玉音放送の聴取が困難を極めたという。笑い話となろうが、   「難しい言葉遣いと音声のひずみや雑音のために内容はほとんど分からなかった(ので)、本土決戦の覚悟を促す内容だと思った」( 平和祈念事業特別基金 編『海外引揚者が語り継ぐ労苦』第12巻、平成14年、327頁) の回想がある。 日本列島のみならず、北は樺太、中国東北部に建国された満州・中国大陸全域、そして朝鮮半島、台湾、さらには南洋庁が位置したパラオ諸島をはじめとする南洋諸島などでも、同一時刻に「皇国臣民」たちに対して、独特の抑揚を持つ天皇の肉声が送り届けられた。信憑性を疑いつつも、すぐに敗戦の報を受け入れた「帝国臣民」も存在した一方で、帝国日本の周辺部では必ずそうではなかったことにも、我々は留意すべきである。例えば、約1万5千名に上るパラオの帝国臣民たち(パラオ人、朝鮮人、日本人など)の大多数は1945年8月15日をバベルダオブ島(いわゆるパラオ本島)で迎えた。彼らは米軍の猛撃を逃れて、島内の密林を逃げ回っていたために、玉音放送を聞くための電気さえもないままの悲惨な生活を送っていた。ましてやラジオがあったはずはない。同年8月末に、多くの帝国日本人は米軍機から散布された降伏を呼びかけるビラによって、初めて敗戦を知ったという。  満州においても同様に、約150万名に達する一般人たちの多くは、玉音放送を耳にする精神的、時間的余裕などは全くなかった。1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約の一方的に破棄したことと、「一億玉砕」な...