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AANS(Australian Army Nursing Service)は、戦後、日本に派遣されたか?

この史料解読を通して考えられることは、次の通り。 ポイント:確かに「AWAS(一般女性陸軍部隊)は日本派遣禁止」という規定を記した文書があるものの、 AANS(正規看護婦)は別枠であり、日本派遣が行われた。  1) AANS(Australian Army Nursing Service)は日本に派遣された  BCOFの医療部隊の中核として、 AANSの看護婦は1946年から日本に駐留し、広島・呉・八幡などのBCOF病院で勤務した。 一次史料で確認できる事実: * AWM(Australian War Memorial) AWM 114, 130/1/42 AWM 52(Unit War Diaries) これらには 130 Australian General Hospital(130 AGH) の日本派遣記録が残っている。 * NAA(National Archives of Australia) Series B883(Service Records) ここには「Japan – BCOF」の派遣記録を持つAANS看護婦の個人軍歴が多数存在。 2) なぜ AWAS は禁止なのに AANS は派遣されたのか 女性部隊の「資格階層」には、 ◎ AANS 正規の看護資格 軍医療部隊の中核 BCOFの医療機能維持に不可欠→   日本派遣は当然の前提 ◎ AAMWS 補助看護要員 AANSの不足を補うために日本派遣が拡大 → 1945年12月以降、130 AGHに編入 ◎ AWAS 一般女性陸軍部隊 医療資格なし → 日本派遣禁止(軍規上の原則) しかしながら、 AWAS → AAMWS への転属という“抜け道”が制度的に用意されていたので、GHQの中でオーストラリア軍内の 医療要員の不足を補うための特別措置が取られた。   3). 実際に日本へ派遣されたオーストラリア看護婦の具体例 史料で確認できる人物を挙げると、以下の看護婦が日本に派遣された。 Sister Betty McDowell(AANS) Sister Joyce Widdows(AANS) Sister Lorna Stone(AANS) Sister Margaret Young(AANS) Sister Dorothy Cawood(AANS) 彼女たちは BCOFの130 AGH...

GHQ/SCAPの週報(Weekly Bulletin)に見る、朝鮮半島(韓国)の看護教育・公衆衛生看護の現場

  GHQ/SCAPの週報(Weekly Bulletin)に見る、朝鮮半島(韓国)の看護教育・公衆衛生看護の現場 GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(Weekly Bulletin)に登場する、朝鮮半島(韓国)の看護教育・公衆衛生看護の現場で活動していた人物や関係者に関する具体的な記述は、以下の通り 。 Mrs. Whang(黄氏か?) 役割・活動: ソウルで行われた6週間の公衆衛生看護コースにおいて、インストラクター(講師)として参加し、指導を担った人物として記録されている 。 Miss Kine(金氏など) 役割・活動: 市立クリニック(City Clinic)の公衆衛生看護婦(P.H.N.)であり、実習プログラム(フィールドプログラム)において指導やデモンストレーション訪問を担当した人物として挙げられている 。 韓国人看護婦、ソウル大学病院のスタッフ、韓国の保健省・教育省関係者 役割・活動: ソウル大学における公衆衛生看護部門(Department of Public Health Nursing)の設置や、6週間のトレーニングコースの組織化にあたり、米軍側(キャプテン・ルスカ等)と協議・協力を行った現地の医療・行政関係者たち 。  また、ソウル大学病院や赤十字病院において、当時の労働環境や体制をめぐる動き(ストライキの回避など)に関わった看護スタッフや学生たちも含まれている 。

GHQ週報に見る韓国の看護学校に関する報告

 GHQ週報に見る韓国の看護学校に関する報告 GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(Weekly Bulletin)に記録されている、 朝鮮半島における看護学校および看護教育・公衆衛生看護に関する記述 を紹介する。 ソウル大学における公衆衛生看護部門の設置と協議 1945年11月中旬の記録において、ソウル大学(Seoul University)のコマンダー・グラフトおよび韓国人当局者との間で、同大学内に公衆衛生看護学部(Department of Public Health Nursing)を新設するための協議が行われた 。 6週間の公衆衛生看護リフレッシュコースの開講 1945年11月12日から、韓国において 6週間の公衆衛生看護コース が開始された 。 当初21名の卒業看護婦が候補者として面接され 、その後も継続的にリフレッシュコースが実施された(12月末から1月初頭にかけて第1次コースが成功裏に終了し、第2次コースが12月31日または1月7日から開始されたことが記録されている) 。 看護学校調査のための詳細な質問票(Questionnaire)の導入 第24軍団(XXIV Corps)管内において、朝鮮全体の看護学校の実態を把握・調査するため、以下のような項目を含む詳細な質問票が使用された 。 病院情報: 患者の平均数、病床数、病院の種類、運営母体 。 看護学校の体制: 看護部長(Director of Nurses)の資格と経歴、学生数(1年生〜3年生の学年別)、学期のスケジュール 。 入学・修学条件: 卒業後の義務、授業料、プロヴィンシャル(州・道)の試験内容、入学資格(初等・中等学校の要件、最低学力基準、年齢制限、婚姻状況) 。 教育環境・生活環境: 教室の教材、日々の勤務時間と授業時間の関係、休暇、制服(支給元)、講師の資格と担当科目、採点システム、健康管理プログラム(予防接種含む)、看護助手(ナースエイド)の有無と任務 。 その他: 助産教育の包含有無、寮の部屋割り・洗面・洗濯・食堂・レクリエーション等の施設状況、および学校のニーズ 。 看護学校におけるストライキ等の動静 1946年1月初頭の記録では、ソウル大学および赤十字病院において看護婦らによるストライキの動きが見...

GHQ週報に見る韓国情報ーー日本から韓国への帰還者など

  GHQ/SCAP公衆衛生福祉局(PHW)の週報(Weekly Bulletin)のテキストデータの中から、 朝鮮半島(Korea / 釜山、京城、ソウル、38度線など)に関する記事や記述 を抜き出して列挙する。 1945年10月14日〜20日の週報 朝鮮人のケアと引き揚げ: 下関エリアを通じた朝鮮人の引き揚げが1945年8月26日から進行中であること 。日本の引き揚げ船の運航により、すでに釜山(Fusan)で約10万人が出発したと推定されていること 。港湾地区は混雑し、状況は不満足であると報告されていること 。 日本政府の指定: 日本政府が厚生省(Welfare Ministry)に対し、特定港湾で双方の引揚者に十分な宿泊所、医療、食糧を提供し、戦時中の管轄を調整するための受入センター設置の責任を負う指定を行ったこと 。 朝鮮向け医療物資: 小型ワクチンの小規模な供給が朝鮮向けに行われたこと 。 チフスと朝鮮半島: 北海道や北部本州、そして朝鮮半島における発疹チフス(louse-borne typhus)の存在が、直ちに対策を講じる必要性がある喫緊の問題として挙げられていること 。 1945年11月4日〜10日の週報 朝鮮人の帰還と移動統制: 下関、仙崎、博多などの混雑する引揚エリアにおける、朝鮮人らの食糧支給、住居、医療・供給、検疫、衛生、一般管理の深刻な不備が現地調査で判明したこと 。これに対し、第6軍軍医や軍政主任官、本部のC-1およびC-3セクションを通じて、受入センターを活用した移動統制や即時の改善措置が取られたこと 。 韓国における医療供給(XXIV Corps): 第24軍団(XXIV Corps)が、基礎医療単位の6ヶ月分の需要(約6ネットワーク分、合計360単位)を要求したこと 。 朝鮮における医療用品の生産と配給(第24軍団管内): 米国占領下の韓国における医療・歯科・獣医の生産・配給は、軍政長官の公衆衛生局(Bureau of Public Health)医療供給セクションの責任下にあること 。 配給は、公衆衛生局の直接監督下で運営される「朝鮮医療会社(Chosen Medical Company)」を通じて行われており、同社は日本統治時代に医薬品の生産・配給を独占していたが、直接的なメーカー流通システムが確立され次第、...