「植民地研究の展望 ーー平成17年度の二つの国際シンポジウムを中心に」 新城道彦・松原孝俊
「植民地研究の展望
ーー平成17年度の二つの国際シンポジウムを中心に」
新城道彦・松原孝俊
第1部「植民地研究の展望:植民主義対民族主義論を克服して」
今回の植民地シンポジウムにおいて、第1部「植民地研究の展望」では4人の先生方が発表された。その中心課題は日本統治期の朝鮮を‘近代化’と‘収奪’のどちらから見るかという問題に対するものであった。スタンフォード大学から招聘したShin Gi Wook先生、ソウル大学から招聘した権泰檍先生、朴泰均先生は主に理論的な発表を、ブリティッシュコロンビア大学から招聘したLynn Hyung Gu先生は資料を中心とした実証的発表をなさった。
まずShin Gi Wook先生の‘近代性’に関する発表から検討していくこととしたい。Shin先生によれば、‘近代性’という概念とは、近代の成立を目的または歴史の進歩とみる価値論的立場を抜け出し、近代または近代性を中立的に見ようとする立場から生まれたものであるという。近代性とは近代を肯定的に見るか否定的に見るかという対立的な見方ではなく、近代的な支配体制が効率的な面を見せると同時に抑圧の強度を強めるといった両面性を持っていることに注目する見方なのだという。韓国の近代は植民地支配がなければ成立しなかった、韓国は植民地支配がなければ歪曲しない近代を迎えた、といった考え方は実際の植民地朝鮮を説明するのに限界がある。それよりは近代と植民地が重なり合った状況で朝鮮人が多様な選択肢の中から何を選び、どのように近代性を形成していったのかを捉える必要があると主張されている。
この上で、植民主義対民族主義という対立構図の中で‘民族’の重要性を強調するのではなく、実際には植民地期に民族以外の多様なアイデンティティ(階級、性)が存在したことに注目しなければならないという考えを示された。民族主義の形成を植民主義との対立構造からだけ見ることは一側面を見ているに過ぎないとし、具体的には李光洙の例を挙げて次のように説明された。「従属的民族主義は同化政策のような植民地状況を克復する術であったが、その論理や概念はファシズム的植民主義の影響を受けていた。このような従属的民族主義は解放後の北朝鮮における主体思想や李承晩の一民主義、朴正煕の権威主義によって活用された」と。
こうした‘近代性’に関する研究の今後の課題としては、植民地(的)近代性の概念を比較的観点から考察し、特に日本の植民地下での近代性形成と西欧植民主義下での近代性形成を比較して植民地(的)近代性の概念を普遍化する必要があるという。
以上のように、民族主義的に進められてきた植民地朝鮮の研究に新たな視点を示そうとするShin
Gi Wook先生の発表に対して、権泰檍先生は次のような発表をされた。
当時の日本は朝鮮を西欧の植民地とは異なるとし、それを植民地と呼ぶことを忌避した。そして‘内地’とほとんど同一の制度と法律などを朝鮮に移植した。また経済開発もした。こうして朝鮮は効率的な統治組織、行政制度、金融制度を整えるようになり、近代の側面を備えた。しかし同時に日本の植民地支配が近代化の別の側面、つまり‘人間の解放’という側面において貢献したかという点には疑問を呈さなければならないという。権泰檍先生は、植民地とは支配民族が社会運営の主導権を握り、自身の利害を貫徹しうる法、制度、慣行、理念などを作り出すことだと定義した上で次のように述べられている。「近代社会の特徴の一つは‘国民国家’として国家の成員が社会の主人公になりその社会の運営を担当することにあるが、朝鮮人には政治的権利が付与されなかった。植民地というものはこのような可能性を否定しているのである」と。また「植民地期に経済的近代化現象があったことは否定できないが、それをもって植民主義の枠を出ることはできない。この時期に近代化があったとするならばそれがどのような背景のもとでできたのか、どのような性格のものであったのかを明らかにしなければならない」というように、単純に‘近代性’という見方を導入することへ警鐘を鳴らされている。
‘近代性’という新たな視点の導入を主張するShin Gi Wook先生に対して、権泰檍先生は‘人間の解放’が遂げられたかという側面から植民地の‘近代性’を強調しすぎることに注意を促した。これに対して朴泰均先生は‘雑種’‘地域性’という観点から植民地研究に関する以下のような展望を発表された。
朴泰均先生が言うには、‘近代化論’が主に社会・経済的な部分の数値分析を行っているのに対して‘収奪論’は総督府の政策内容を日本の帝国主義の利害関係を中心に分析しており、そのため植民地‘近代化論’と‘収奪論’の論争は平行線をたどっているのだという。ここで先生は、帝国主義と植民地関係を定義しているもっとも典型的な用語は‘exploit’であるという例を引いて次のように説明する。「この用語は主に二つの意味を持っている。一つは‘自分の利益のために(対象を)利用する’という意味で、もう一つは‘新しく発展させる’という意味である。」つまり「‘開発’と‘収奪’という二分法的な論理はコインの一側面を過度に強調したものに過ぎない」と。
こうした前提において、朴泰均先生は、韓国学に足りないものは雑種(hybridity)と地域化(localization)の概念であると主張する。その考えは、「外部から入ってきた衝撃が内部の躍動性と結合しながらお互いが混ざり合う現象が現れる。外部から入ってきた現象が該当地域にあるそのままの特徴に発現されるのではなく、内部の躍動性と結合しながら新しい形態を作り出す。」というものである。日本の開発(外部の衝撃)と近代化に向かおうとする朝鮮人の力(内部の躍動性)があって初めて韓国・朝鮮の近代化が成り立ったという考えだといえよう。
そして「では、なぜ韓国学は‘雑種’と‘地域化’を拒否しているのであろうか?」という疑問を提起し、次のように答えている。「それは根本的に‘近代化論’と‘収奪論’がそれぞれ‘断絶’と‘継承’の一側面だけを過度に浮き彫りにしているためであろう。‘断絶’の立場から見るとき韓国の現代社会は朝鮮時代とは断絶された‘植民地的遺産(colonial legacy)’によって直接的に影響を受けた社会になったことになる。‘継承’の立場から見るとき韓国社会は朝鮮時代から発展してきた伝統を継承しており、植民地的な経験は韓国の政治的な発展を‘歪曲’したに過ぎないと評価する。結局このような二つの立場はお互いに平行線をたどり、雑種と地域化の適用を許さない。雑種と地域化は過去から持続されてきた固有の伝統と外部から入ってきた新しい衝撃をすべて認めたときに現れる概念だからである」と。そして最後に、歴史的事実に対する客観的な復元を成し遂げるまでは先入観を脱しなければならないと主張されている。
このようにShin Gi Wook先生、権泰檍先生、朴泰均先生はそれぞれの視点から理論的な発表をされた。これらの発表で注目すべき点は、それぞれの発表が主張していることは異なっているが、今後の課題として提案していることが同じであるという点であろう。例えば、Shin Gi Wook先生は「植民主義対民族主義という対立構図の中で‘民族’の重要性を強調するのではなく、実際には植民地期に民族以外の多様なアイデンティティ(階級、性)の論議が存在したことに注目しなければならない。」と言い、権泰檍先生は「韓国の学会では植民地近代化論批判の影響および民族主義過剰に対する憂慮もあり、植民地期の研究は地域史、生活史、女性史などの新しい分野に広がってきている。仮に近代化ができていたならばそれがどのような性格のものだったのか、ということが新しい研究を通じて明らかになればよいと考える。」と言っている。全体を理論的に把握することは重要であるが、その時代に生きた個々の人間の活動(事例)を詳細に見て、実証的に論じていかなければならないということであろう。それは朴泰均先生の「歴史的事実に対する客観的な復元を成し遂げるまでは先入観を脱しなければならない」という主張につながっている。
今回のシンポジウムではLynn Hyung Gu先生が朝鮮総督府政務総監、有吉忠一について事例研究の発表をされた。権泰檍先生が「日本の植民主義に対する研究はまだ不十分であると言わねばならない。一例をあげれば、朝鮮社会を支配していた核心的な機構である朝鮮総督府に対する研究がない。・・・植民地政策に大きな影響を及ぼさざるをえない日本国内の政治情勢に対する研究もほとんどない」といっているように、当時の歴史を考える上で、まだ十分な事例研究がなされているわけではない。こうした側面から、Lynn Hyung Gu先生の朝鮮総督府政務総監に着目した発表は植民地研究に新たな光を当てたといえよう。朝鮮総督が「小天皇」であったという通説のせいもあって、総督府官僚に関する研究はこれまでほとんどなされてこなかった。これに対してLynn Hyung Gu先生は「〔政策〕決定過程を客観的に取り上げるためには総督府機構内の役割分配など検討した上で結論を出すべき」と主張されている。
植民地朝鮮の歴史は概念だけが先走り、具体的な事例に関しては詳細な研究がなされていないといえよう。そうしたことからLynn先生のように、朝鮮総督が「小天皇」であったという理由から総監に関して詳しい研究がなされてこなかったことを指摘された発表は大きな意味があったといえよう。また、当時の朝鮮を研究する上で、そこに住んでいられた一般人に関する、いわゆる民衆史の研究はこれまで無視されてきた。こうした人々から直接お話を聞き、事実を構築していくことは今後の植民地研究に必要不可欠なものであろう。このことに関しては後半に収録された木浦データを参照にしていただきたい。
第2部「日本統治期朝鮮半島に関するアーカイブの共有:日・中・韓・台4国のアーキビストの連携」
第1部「植民地研究の展望」において如上の優れた4つの研究発表がなされた。これを受けて第2部では、そうした植民地研究の現状・課題・展望に対して「アーカイブ研究」がどのような貢献をなせるか、またどのような問題提起をできるかを探った。第2部の目的は、単に中央の(朝鮮総督府)の資料にのみ注目するのではなく、地方資料にも光を当て、新たな植民地研究の深化と拡充を模索することにあった。
群山市文化観光課の金中奎先生は、これまであまり注目されてこなかった群山に関する地域資料を網羅的に発表してくださった。時代区分でいえば古文献資料(朝鮮時代)、近代文献資料、現代文献資料についてである。古文献は現在ほとんど残っておらず、近代文献としては、日本人が行った歴史編纂による資料が残っているという。また、これ以外にも古地図、近代地図、写真資料に関する紹介にも言及された。
釜山大学校からいらした車喆旭先生は植民地期の会社資料に関して発表された。1990年代まで、日本統治期植民地研究といえば、社会運動、民族運動が研究者の中心的な関心にあったが、その研究範囲が拡大しつつあるという。そうしたことから、車喆旭先生も詳細な事例研究の必要性を訴えた。本報告では、植民地期に釜山において代表的な資本家グループであった南鮮倉庫株式会社が保管してきた資料について発表された。この資料の公開は初めてだという。
資料は、①倉庫の年度別名称変化と社長に関するもの、②営業報告書、③帳簿類、④南鮮倉庫株式会社株主と保有株式数、⑤貨物臺帳に見える寄託者及び科目、である。こうした一企業の詳細な記録は今後の植民地研究に大きな貢献をするであろう。
国文学研究資料館からいらした安藤正人先生はアーカイブ学の今後の課題として「記録の共有」と「記録群の全体性」に関して発表された。「記録の共用」とは、残された記録を掘り起こし、整備し、これを国の壁を超えて共通に利用できる、自由で平等な記録管理システムを創り出すことであるという。この「記録の共有」を進めることによって、「記録群の全体性」を明らかにしていかなければならないことを主張された。
植民地期の記録の保存とその散逸に関しては、満州、朝鮮、東南アジア等に関して発表され、そうした現状を踏まえて今後どのようにアーカイブ学が貢献していくべきかを発表された。
満州の資料編纂は「旧記」、つまり「(満州国)建国以前ノ文書資料」を「国立奉天図書館」で集中管理することを命じたことに始まるという。この事業のため、国立奉天図書館の中に「旧記整理処」が設けられ、南満洲鉄道株式会社の輸送網を使って、東北全土380の地方官庁などから352万巻に及ぶ行政記録や歴史記録がここに集められた。「旧記整理処」の活動は、結果的に352万巻の記録を散逸の危機や戦争の被害から守ることになったが、反面、この記録集中政策が逆に大量の記録を失わせるきっかけになったという。
朝鮮においての 「旧慣調査」は、1906年に設置された不動産調査会の土地制度調査によって開始され、1910年以後は、朝鮮総督府取調局、参事官室、中枢院によって事業が引き継がれたという。アーカイブズ学の観点からは、「旧慣調査」や「修史事業」の過程で書籍や記録の調査・収集がどのように行われたか、という点を明らかにすることが重要だが、朝鮮総督府初期の「旧慣調査」や図書記録類の収集活動については史料が乏しいという。また、民間所蔵の書籍や記録の調査・収集も行われるが、それはしばしば朝鮮民衆の抵抗にあったという。
東南アジアについては、太平洋戦争開戦後の日本軍占領地におけるアーカイブズ政策に関して述べられた。東南アジアにおける日本軍政は、軍の負担を軽減するため、「残存統治機構ヲ利用」し「従来ノ組織、慣行ヲ尊重シ民政ノ細部ニ亙ル干渉ハ努テ之ヲ避ク」という原則に立っていた。このため、占領地の官公署が保管している記録物についても、「将来行政実施及学術研究上特ニ緊要ナルヲ以テ、之カ保存ニ関シテハ慎重ナル配慮」をするように、との命令が陸軍次官から伝達されていたという。東南アジアで失われた記録は、開戦直後に戦火から守るため、または日本軍の手に落ちることを恐れて避難させられ、そのまま廃棄されたり行方不明になったりした記録があるという。また、戦闘による直接被害や、混乱期の略奪や放火による被害。日本占領時代ならびに日本敗戦時の、日本人による組織的記録破壊が言われることがあるが、史料による裏付けは難しいという。
最後に「記録の共用」化を進めるための今後の課題について3点述べられた。第1点目は韓国の「公共機関の記録物管理に関する法律」のような法律を日本でも制定し、国立公文書館への移管と公開を義務づけるとともに、国立公文書館の調査権限や調査能力を強化する必要性、及び都道府県などの地方自治体が保存している記録や、企業が保存している記録の調査と公開も進めなければならないということ。第2点目は、日本の植民地支配や戦争に関わる記録のうち、日本以外の国々や地域に所在する記録の調査の問題である。韓国、中国、台湾、東南アジア諸国などのアーカイブズ学研究者やアーキビストとの密接な協力は極めて重要であるという。第3点目は、「失われた記録」に関する研究の課題である。植民地政庁や軍政下における記録管理システムの研究や、記録の略奪や廃棄に関する研究は、残存記録の手がかりを得るためにも重要だが、同時に「記録群の全体性」(archival
integrity)を復元するというアーカイブズ学的な意味をも担っている。この点でも、韓国、中国、台湾、東南アジア諸国などのアーカイブズ学研究者やアーキビストとの共同研究を進めることが重要だという。
続いて発表されたのは、同じく国文学研究資料館からいらした加藤聖文 先生である。加藤先生は福岡という地方都市に着目し、博物館、図書館、テレビ局といった公共機関が担うべき問題をアーカイブ学の立場から発表された。
2005年秋に開館した九州国立博物館はアジアとの歴史的繋がりを重要なコンセプトとしているにも関わらず、展示対象は前近代までと限定している。また戦争の社会史的アプローチが盛んに行われているが、こうした展示は全国のどこでも応用可能な手法であり、東アジアとの繋がりという福岡の独自性を反映したものとはなっていないと指摘された。
また福岡にある「引揚港・博多を考える集い」という引揚者による市民団体にも注目し、彼らが寄贈した資料までもがマイクロフィルム化されることで終わっていることに関して次のように述べられた。こうした処理はせっかくのモノ資料が持つ迫真性を伝え切れておらず基本的に紙媒体を専門とする図書館の限界であり、「集い」の人びとの想いを一般の人びとに伝えるためにも博物館との連携が急がれるという。
また戦後に引揚女性の強制堕胎施設となった筑紫野市の二日市保養所について触れ、歴史研究、歴史教育におけるテレビ局の役割を述べられた。この問題は福岡のテレビ局RKBが1978年に制作しドキュメンタリーとして放送されたことを機に全国的にも知られるようになったという。しかしそれは再放映がない限り見ることはできないし、「著作権」によって複製も行うことができないという問題を抱えている。こうした現状から、「映像ライブラリーを完備していない民間放送局はいたずらに著作権を振り回すのではなく、積極的に一般の要請に応えるべきであろうし、図書館など公共の保存公開機関がそういったドキュメンタリーの収集に本腰を入れていくべきであろう。地方においては地方放送局が制作した映像を積極的に収集していくことがこれからはより一層求められる」と主張されている。
最後に学習院大学の辻弘範先生は日本所在植民地期朝鮮関係資料の調査に関して特に「友邦文庫」を中心に発表された。初めに友邦協会と中央日韓協会が設立された過程を述べられた後、どのような資料がどのような形で収集されたかを説明された。
友邦文庫は旧朝鮮総督府官僚が私蔵していた政策立案段階のメモ、手書きの報告書などを持ち寄ることにより形成されていった。また朝鮮総督府関係者への聞き取り調査は、現在他では知ることのできない貴重な情報を私たちに提供してくれているという。東洋文化研究所では2003年度より、朝鮮総督府関連文書など植民地期朝鮮関連資料の収集作業も行っているが、元朝鮮総督府関係者の遺族や元在朝日本人からの資料の寄託を受入れ、長期保存と研究利用のため、既存の友邦文庫資料と同様の保存処理措置を施した上で、コレクションに加えているという。2003年度以降、東洋文化研究所に受け入れられた資料は、①水野家文庫、②上甲米太郎日記、③近藤劔一文庫、④書店等からの購入資料であるという。
辻弘範先生はこうした報告を経て、最後に朝鮮総督府関係文書自体が抱えている問題点について三点述べられた。第一点目は、朝鮮総督府における文書管理制度、すなわち総督府内において文書を作成→保管→廃棄するまでの一連のシステムについて未解明な点が非常に多いこと。第二点目は、日本敗戦前後における大量文書廃棄の事実の検証。第三点目は、韓国における文書管理制度によって朝鮮総督府関係文書が処分されてしまったことである。
Ⅱ 植民地シンポジウム(2005年12月18日)
(1)プログラム
九州大学韓国研究センター(RCKS)
国際シンポジウム2005
日時:2005年12月18日午後1時~午後7時
場所:九州大学国際ホール
主催:九州大学韓国研究センター
後援:人間文化研究機構 国文学研究資料館アーカイブズ研究系
第1部 午後1時~
「植民地研究の展望―日本統治期朝鮮半島を中心として」
<研究発表>
Shin Gi Wook(スタンフォード大学) 「Colonial Modernity in Korea」
権泰檍(ソウル大学校) 「植民地近代化論と日本の植民主義」
Lynn Hyung Gu (ブリティッシュコロンビア大学)
「植民地期朝鮮における政務総監の実態―有吉忠一を中心に―」
朴泰均(ソウル大学校)
「韓国の経済成長における植民地の役割―新しい理解のための提言―」
<特別講演>
朴 賢洙(嶺南大学校) 「韓国近代と民衆生活資料集成」
第2部 午後3時半~
「日本統治期朝鮮半島関連アーカイブ研究の展望」
<研究発表>
金中奎(群山市文化観光課) 「群山関連の歴史文化資料に関して」
車喆旭(釜山大学校) 「植民地時代釜山の南鮮倉庫株式会社関連資料に対して」
安藤正人(国文学研究資料館)
「旧植民地・占領地関係史料のアーカイブズ学的研究について」
「植民地の記憶都市・福岡─アーカイブズ学の果たすべき役割─」
辻 弘範(学習院大学東洋文化研究所)
「日本所在植民地期朝鮮関係資料の調査―その方法と問題点」
규슈대학 한국연구센터(RCKS)
국제심포지엄2005
날짜:2005년12월18일 오후1시~오후7시
장소:규슈대학 국제홀
주최:규슈대학 한국연구센터
후원:인간문화 연구기구 국문학 연구자료관
제 1부 오후 1시~
「식민지연구의 전망―일본통지기 조선반도를 중심으로―」
<연구발표>
Shin Gi
Wook(Stanford University) 「Colonial Modernity
in Korea」
권태억(서울대학교) 「식민지 근대화론과 일본 식민주의」
Lynn Hyung Gu (University of British Columbia)
「식민지기 조선에 있어서의 정무총감의 실태
―有吉忠一를 중심으로―」
박태균(서울대학교)
「한국의 경제성장에 있어서의 식미지의 역할
―새로운 이해를 위한 제언―」
<특별강연>
박현수(영남대학교) 「한국근대와 민중생활 자료집성」
제 2부 오후 4시~
「일본통치기 조선반도 관련 아카이브(archive) 연구의 전망」
<연구발표>
김중규(군산시 문화관광과) 「군산 관련 역사 문화 자료에 관하여」
차철욱(부산대학교) 「식민지시대 부산의 남선창고주식회사 관계
자료에 대하여」
安藤正人(国文学研究資料館)
「구 식민지・점령지 관계사료의 아카이브즈(archives) 학적연구에 관해서」
「식민지의 기억 도시·후쿠오카─아카이브(archive)학이 완수해야 할 역할─」
辻 弘範(学習院大学東洋文化研究所)
「일본소재 식민지기 조선관계자료의 조사 ―그 방법과 문제점―」
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