篠田治策文書
篠田治策文書
有馬学、松原孝俊、高野信治、中野等、中島楽章、石川亮太、倉本潤子、榊原隆宏、新城道彦、石橋道秀、内山一幸、藤田理子、官田光史、山口華代、崔相振、田中光晴、山下達也
篠田治策は明治5年に静岡に生まれ、錦城学校(現錦城高等学校)を経て、東京帝国大学に入学、明治32年に卒業した。同窓の中には、第一次若槻内閣で鉄道大臣になった井上匡四郎、浜口内閣で司法大臣となった渡辺千冬、第16代台湾総督となった中川健蔵などがいる。
東京帝国大学卒業後、東京で弁護士業に従事し、明治37年には第三軍国際法顧問として日露戦争に従軍した。さらに明治40年8月には統監府官憲を間島に派遣するために龍井村に潜入し、間島派出所を開庁して総務課長に就任した。これを契機として篠田は対韓政策に直接関与するようになる。後にこの一件に関しては、「表面は清国官憲の横暴と馬賊不逞輩の凌虐とより、多数の在住韓民を保護し、裏面には間島問題を韓国の為に有利に解決すべく試る」[1]ことを目的としたものであったと回顧している。
その後、篠田は明治42年に統監府秘書官に就任し、明治43年に平安南道内務部長、大正4年に平安南道第一部長、大正8年に平安南道知事というように、総督府官僚として出世していった。さらに大正12年には李王職次官、昭和7年には李王職長官に就任することとなる。李王職とは韓国併合時に王公族として冊立された韓国皇室の家務を掌る組織であり、長官と次官の他に事務官、賛侍、典祀、典医、技師、属、典祀補、典医補、技手などがおかれた。下表からもわかるように、篠田は内地人として初めて李王職長官に就任しているが、それまで李王職は朝鮮人の長官よりも内地人の次官が権力を持つ「次官政治」が展開された。
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李王職長官
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李王職次官
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閔丙奭(明治44年2月)
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小宮三保松(明治44年2月)
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李載克(大正8年10月)
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国分象三郎(大正6年1月)
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閔泳綺(大正12年3月)
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上林敬次郎(大正10年9月)
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韓昌洙(昭和2年4月)
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篠田治策(大正12年2月)
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篠田治策(昭和7年7月)
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李恒九(昭和7年7月)
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李恒九(昭和15年3月)
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児島高信(昭和15年3月)
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篠田は李王職次官時代の昭和2年に李王垠、方子夫妻の欧州巡遊に同行し、その間の記録を『欧州御巡遊随行日記』(大阪屋号書店、1928年)に著している。さらに李王職長官時代の昭和10年に李王垠に扈従して台湾を視察し、その間の記録を『台湾を視る』(楽浪書院、1935年)に著している。その他にも、『日露戦役国際公法』(厳松堂書店、1911年)、『文禄役と平壤』(平安南道教育会、1919年)、『南漢山城の開城史-極東に於けるCapitulationの一例』(1930年)、『間島問題の回顧』(1930年)、『白頭山定界碑』(楽浪書院、1938年)などの著書がある。また篠田は『高宗実録』(全52巻)および『純宗実録』(全22巻)の編纂にも大きく関与した。
李王職長官在任中の昭和10年8月12日に勲一等瑞宝章を受け、李王職長官を辞めた昭和15年には速水滉を継いで京城帝国大学第9代総長に就任している。
尚、篠田は法学者らしく昭和12年に「北支事変と陸戦法規」という論文を執筆している。南京大虐殺論争では何が国際法上の違反行為に当たるかが問題とされるが、その一部として便衣兵への裁判が必要か不必要かで「虐殺」の有無が論じられる。篠田は上記論文において、必ず軍事裁判に付してその判決に依らなければならない11項目の1つに「一定の軍服又は徽章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(仮令ば便衣隊の如き者)」[2]という項目を挙げている。それゆえ篠田の主張は、便衣兵を裁判なしに処刑した行為を「虐殺」と見做す論者からたびたび引用されている。
篠田は間島派出所総務課長、李王職長官を歴任したことから間島や李王家に関する資料を多く遺した。スタンフォード大学フーバー研究所は1950年から60年代に「日本近代史」関係資料を精力的に収集した。そのために、東京に事務所を開設したほどの熱の入れようであったと聞く。
Japanese Language Materials in the East Asian
Archives and Collections of Special Materials Japanese Modern
History
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1.
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Araki Sadao
(1877-1966) Collection
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9 ms. boxes
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2.
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Irie Toshio
(1901-1972) Collection
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1 ms. box
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3.
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Shinoda Jisaku
(1879-1946) Collection
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11 ms. boxes
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4.
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Hamada Tokkai (1899-1958)
Collection
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5 ms. boxes
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5.
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Hiranuma Kiichiro
(1867-1952) Collection
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2 ms. boxes
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6.
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Yano Toyotaro Collection
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20 ms. boxes
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7.
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Miscellaneous items
on pre-World War II domestic affairs
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6 ms. boxes
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8.
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Miscellaneous items
on pre-World War II and immediately after the war
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3 ms. boxes
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9.
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Issues of post-World
War II farmers
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1 ms. box
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10.
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Materials about
Nihon Yusen
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1 ms. box
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11.
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Journals of local
assembly meetings in
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1 ms. box
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12.
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Paul Goforth
Collection
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1 ms. box
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13.
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Newspaper items on
Sino-Japanese war, 1894-1995
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1 ms. box
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14.
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Issues of post-World
War II constitution
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1 ms. box
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15.
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International
Military Tribunal for the
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4 ms. boxes
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16.
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Issues regarding
Ryukyu
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1 ms. box
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17.
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Post-World War II
communist movement
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3 ms. boxes
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18.
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Post-World War II
labor movement
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1 ms. box
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19.
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Post-World War II public safety issues
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1 ms. box
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20.
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Leaflets regarding
U.S.-Japan Security Treaty
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1 ms. box
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21.
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Post-World War II
elections in
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1 ms. box
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22.
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Miscellaneous items
on post-World War II Japan
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2 ms. boxes
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23.
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Maps
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3 ms. boxes
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このリストに見る荒木貞夫・入江俊郎・平沼騏一郎などの個人コレクションとほぼ同時期に、篠田コレクションも東京から将来されたようである。ただし荒木・入江・平沼の3コレクションの主要資料が国会図書館憲政資料室に所蔵されており、いわば「泣き別れ」の状態にあるのに対して、現在のところ、篠田コレクションはスタンフォード大学にのみ所蔵されているだけに、貴重である。
今回のリスト化は、上記の篠田コレクション11 ms. Boxesを2回に分けて整理したものである。
第一回調査:2004年1月9日~1月13日
第二回調査:2007年2月15~16日
本リストは、九州大学 21世紀COEプログラム(人文科学)「東アジアと日本:交流と変容」による研究成果の一部である。
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