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日本統治期 江原道鉄原郡月井里に居住した日本人植民者

 日本統治期、江原道鉄原郡月井里に居住した日本人集団のファミリーヒストリーを記述した方がいた。小西昇氏である。 1992年5月23日付けの書簡で、突然に小西氏から様々なコピー類が送られてきて、その情報の貴重性を認識することとなった。私は一度もお目にかかっておらず、小西氏のお人柄もヒストリーも知らない。しかしながら、誠実なお人柄であるからこそなしえる几帳面な記述に、私は驚いた。  月井里は正式の名称を江原道允鉄原郡於雲面中江里という。『月井里』と呼ぶのは、同郷の方々が発行する雑誌によると、駅名「月井里」に由来するそうである。風雅を愛する方による命名であろう。鉄原の北方約5キロの地点にある小さな集落であり、日本統治期に日本人が20世帯ほど居住したそうである。韓国人を含めても1000人もいなかったようである。  その小規模集落に関して、「54歳になった今日このごろ、私はむしょうに月井里のことを思い出します」として、小西氏は猛然と月井里に居住した日本人たちの記憶を残そうとして、月井里に縁をお持ちの引揚者を日本全国に探し求め、彼らから入手した各種情報をワープロで記録化した(その当時は、ワープロ全盛時期)。 ************************** 月井里 小西昇   私は韓国の月井里 ( 行政区画上は、江原道鉄原郡於雲面中江里、月井里は鉄道の駅名 ) という片田舎に生まれ、昭和 17 年 ( 小学校卒業 ) までそこで育ちました。文字どおり、月井里は私の生れ故郷です。   ところが、今はそこに誰も住んでなく、また、誰も行かれなくなりました。南北朝鮮を分ける非武装地帯になったからです。今では荒野になって、野鳥の生息地になっているそうです。やがては、月井里という地名もなくなり、人々の記憶から消えてしまうのではないでしょうか。 54 歳になった今日このごろ、私はむしょうに月井里のことを思い出します。帰巣本能がもたげる年になったのかもしれません。   月井里は、鉄原の北方約五キロの地点にある小さな集落でした。日本人が 20 世帯ほどもあったでしょうか。韓国の人達を合わせても千人もいなかったと思います。でも、私にとっては、かけ替えのない生まれ故郷なのです。犬かきで泳ぎ   小西昇   私は韓国の月井里 ( 行政区画上は、江原道鉄原郡於雲面中江里、月井里は鉄道 の駅名 ) と