米国国立公文書館所蔵「GHQ週報」に見る外地に設立された看護学校
「外地」に設立された看護学校・医療機関の状況
GHQ週報や当時の行政動向を俯瞰すると、満洲、中国(大陸)、台湾、朝鮮半島などにおいて、内地と同様の「日赤病院の支部」や「朝鮮総督府・台湾総督府立の医学講習所・病院附属看護婦養成所」が多数設置されていた。
朝鮮半島および台湾:
京城帝国大学附属医院やソウル(京城)の各種赤十字病院、道立病院等に看護婦・助産婦の養成所が付属していました。例えば、のちに戦後GHQ/XXIV Corps(在鮮米軍司令部)の看護担当者(キャプテン・ルスカ等)が接収・再編することになるソウル大学(旧京城帝大系)の医学・看護教育システムには、日本人によって敷かれた旧体制の残滓と、韓国人スタッフによる自主化の要求が入り混じっていました。
外地における実態と引き揚げへの影響:
外地に設立されたこれら多数の病院・養成所で学んだり従事したりしていた日本人看護婦、および現地採用の医療従事者たちは、1945年8月以降、前述の「数百万規模の引揚者」の波に呑み込まれることになりました。外地の赤十字病院や陸海軍病院で従軍・勤務していた看護婦たちは、過酷な引き揚げの過程で患者のケアに奔走し、その多くが混乱の中で本土へと帰還または抑留を経験しました。
3. 歴史的考察:なぜGHQは日本の旧看護体制を「ゼロベース」で改革せざるを得なかったか
この1945年8月15日以前の養成実態データを俯瞰すると、戦前の日本は「数(有資格者約16万人、臨床看護婦9万人超)」の規模こそ一見して整っているように見えながら、その実態は「日赤のエリート層」と「戦時下で粗製乱造された一般病院の短縮コース(1.5年〜2年、低年齢化)」との間で二極化・劣化が激しかったことが浮き彫りになります。
この構造的脆弱さこそが、戦後直ぐにバーニス・オルト(Bernice L. Anderson / オルト少佐)らが乗り込んできた際、「日本の看護婦はベッドサイドの臨床判断力が欠けている」「教育カリキュラムと身分制度を近代的な独立職業(Professional Nurse)として一新しなければならない」と断じ、保助婦法(1948年)の制定と国家試験・3年制教育の導入へと突き進む、強力な原動力となったのです。
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