GHQ初期週報にみる旧陸海軍病院の実態と移管・再編動向
GHQ初期週報にみる旧陸海軍病院の実態と移管・再編動向
1. 終戦直時点における旧陸海軍病院の規模と傷病兵の状況(1945年8月〜9月)
旧陸軍病院の状況:
1945年8月15日時点で、帝国陸軍は日本国内および韓国(釜山など)において、計277箇所(日本国内268箇所、韓国9箇所)の病院を運営していた
。 敗戦時、これらの陸軍病院および4箇所の病院では、約78,000人の負傷兵・病気療養中の復員軍人が治療を受けていた
。 しかし、戦災によってそのうち8箇所の陸軍病院が一部または全壊しており、多くの施設が旅館、学校、その他の民間建物へと急遽移転して診療を続けていた
。
旧海軍病院の状況:
帝国海軍は、総計14,000床のキャパシティを持つ海軍病院を運営していた
。 空襲により、3箇所・合計700床分の病院施設が70%〜80%焼失するなどの被害を受けた
。
医療人員の復員(デモビリゼーション):
1945年9月15日時点の日本政府の報告によると、陸軍からは医師15,700人、歯科医師29人、薬剤師1,500人、看護婦15,000人が復員した
。 同時期に海軍からも医師3,279人、歯科医師253人、薬剤師213人、看護婦500人が復員した
。
2. 運営主体の変更とGHQによる「非軍事化」指令(1945年11月)
旧陸海軍病院は、当初は軍の解体に伴い「復員庁(旧陸軍省・海軍省の流れをくむ傷兵保護院・厚生省の関連部局)」の管轄下に置かれましたが、GHQ/PHWは軍国主義的な色彩を排除するため、厳格な統制と一般民間への開放を命じた。
傷兵保護院から厚生省(民間医療)への移管:
1945年11月13日付のGHQ覚書(AG 334 PH)および同年11月17日付の覚書(AG 632 PH、SCAPIN-265相当)により、旧陸軍および海軍が保有していたすべての病院、サナトリウム、療養施設は、内務省を経由して、民間人の医療・入院を担当する厚生省(厚生省の所管部局)へと移管することが命じられた
。
「軍人・家族専用」の禁止:
GHQは、これらの旧軍病院の施設やベッドを、元軍人やその家族の治療だけに限定して優遇・利用することを明確に禁止。一般の日本人市民(一般傷病者や結核患者、戦災者など)の医療ニーズに対しても広く開放し、統合・運用することが義務付けられた
。
3. 国立病院体制(国立病院・療養所)への道筋と週報データの反映
病院強度の変化と統計への統合:
旧陸海軍病院や復員関係の病院施設が厚生省の民間医療体制に組み込まれたことに伴い、1945年12月中旬以降のGHQ週報に掲載される「日本民間病院の強度レポート(Weekly Japanese Civilian Hospital Strength Report)」の数値が急増した
。 例えば、1945年12月14日時点の報告では、前週まで約2,500〜2,600箇所であった病院数が、旧軍病院等の統合によって2,915箇所(総病床数178,816床)へと跳ね上がり、入院患者数も一気に増加したことが記録された。
専門病院(精神科・結核等)の指定:
旧軍関係の医療施設の中には、のちに国立療養所や国立病院となる主要なサナトリウムや精神科病院(例:国府台の精神病院や各地の陸軍病院跡地)が含まれており、これらは戦後日本の公的医療の骨幹へと転換されていった。
このように、国内の旧陸海軍病院は、終戦直後には約8万人の傷病兵を抱える巨大な軍事医療インフラでしたが、GHQ/PHW(サムス少佐ら)の介入によって軍籍から切り離され、「厚生省の管轄下での民間・一般解放」「国立病院・療養所網への再編」という形で、戦後日本の公衆衛生・医療体制の基盤へと劇的に再定義された
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