『花なき墓標 五戸開拓団の終焉 』(川 崎文三郎・五戸開拓団遺族会・昭和 38年)
『花なき墓標 五戸開拓団の終焉 』(川 崎文三郎・五戸開拓団遺族会・昭和 38年)
この本は開拓団は満州国遜河五戸郷開拓団の団長であった川崎文三郎氏執筆である。
開拓団の所在地は河省遜克県双河鎮。黒龍江の対岸がソ連領の地。そこに大青森郷開拓団が入植した、昭和15年5月に青森県内出身の100戸が入植し、第2陣が18年に150戸,尾上町から 100戸が到着してできたのが、大青森郷開拓団。
渡辺武秀氏の聞き取りによると、猪鼻百合氏(昭和10年3月20日生まれ、本籍地は青森県八戸市大館村字新井田字横町 7番 地 2号地)は満州国に父親,母親,兄,妹と共に大青森開拓団に到着したのが、昭 和⑳年3月頃であったという。
ソ連が不可侵条約を破棄して一方的に進撃してきた昭和20年8月8日から、75日間の阿鼻叫喚の逃避行が始まる。詳細は当該書に詳しいので、ここでは割愛する、敗戦の直前まで開拓団が日本から満州島渡っていた事実に改めて驚かされる。
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