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韓国学から発信される研究理論
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2006 年 10 月 10 日、現代のグローバル時代に合致し、国家や民族を越えた新しい型の組織連携である世界12大学韓国研究センター consortium が結成された。 その目的は、世界 の主要大学韓国研究センターが、国家や民族を越えた新しい型の組織連携 consortium を作り、個別の学問分野を尊重しつつ、韓国研究の促進と活性化を推進することにある。 その構成機関は、当分の間、九州大学韓国研究センター、UCLA、 Hawaii 大学、北京大学、復旦大学、ソウル大学校、高麗大学校および Australian National University 、 Harvard 大学、 London 大学( SOAS )、 University of British Columbia 大学、延世大学校の 12 大学である その活動方針は、次の通りである。 A,従来は中国と韓国、もしくは Australian と韓国などの2国間もしくは2地域間の Bilateral の韓国研究であったが、 Global 時代が到来した今日では、もはやそれでは不十分である。今後は Multilateral の研究へと展開し、グローバル・イシューに対応する新たな韓国研究を創出することにある。 B,国家を越えた環太平洋地域の韓国研究センターの consortium 構築と共同研究を展開する。 C,本 consortium を活用して、韓国研究を活性化し、優秀な次世代韓国学研究者を輩出するに資する。 本 consortium では、積極的に次世代韓国学研究者の養成を主要な活動に採 用した。その一つは、年 1 回の「国際ワークショップ」の開催である。 2006 年度実績では、16の大学から 28 名の大学院生、 17 名の教授陣が日本に集 合した。発表された論文数は、 28 編。教授陣の講義数は、3。 その予想される教育効果は、 1. 世界の次世代韓国学研究者や大学院生の横のネットワークが強化できる。 2. consortium 型研究教育制度の創出(将来への期待:世界12大学相互で単位認定をする) 3. 情報の発信・受信のために、 consortium 構成大学の研究者と大学院生が投稿でき、
在朝日本人たちの「生きた証のアーカイブ」
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1945年8月15日。その日をもって、外国人となった日本人約75万名が朝鮮半島南部の釜山に集結した。『故郷へ ~帝国の解体・米軍が見た日本人と朝鮮人の引揚げ~』(浅野 豊美 ・明田川 融編、現代史料出版・ 東出版刊、 2005 年 9 月)には、アメリカ軍のカメラマンによって撮影された写真がある。釜山港の桟橋付近で、大勢の日本人たちが引き揚げ船を待つ光景である。日本人たちが着の身着のままで大挙して釜山港を目指してきて、不安なまま乗船を待ち続ける様子や、あるいは乗船できる安堵の姿を映し出している。かって、その釜山港に降り立った日本人は、大望の一歩を踏んだはずである。 「在朝日本人」(1890年頃から1945年まで朝鮮半島に居住した日本人)へのオーラルヒストリー調査を開始して3年の間、多くの方々のご協力を得て、多数の貴重な資料を蓄積することが出来た。まずは何よりも肉声を納めたビデオテープ、現在所属する同窓会の刊行物、所持しておいでの写真、あるいは地図など。重ねて御礼を申し上げたい。 我々が目指したのは、在朝日本人たちの「生きた証のアーカイブ」を構築することにあった。在朝日本人たちにとって、思い出の品々であったとしても、子供たちや孫たちには、たんなる「紙くず」だからである。彼ら在朝日本人たちは、自分たちが朝鮮半島に生活していたことを誇りと考えて、堂々と語る機会を持ち得ないまま、静かに思い出の品々を保管してきた。わずかな機会が、ひっそりと開催された同窓会、同郷会であった。
歴史研究における理論と実証
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歴史研究において理論と実証の二つが重要なことは言うまでもありません。しかし、この二つを備えた研究をすることは容易ではありません。特にこれまでの植民地研究は理論や概念だけで語られ、資料による証明が疎かにされてきたといえます。このように語られてきたから当然だ、というように、その語りの出所が曖昧なまま特定の理論、概念が形成されてきました。 こうした現状を反省すること、つまり理論と実証の歯車を合わせ、事実に基づいた歴史を構成していくことを根幹に置いて、われわれは研究を進めてきました。 ① 理論と実証の歯車を合わせる これに関しては、植民地シンポジウムにおいて試みてきました。今回の植民地シンポジウムでは第1部が「植民地研究の展望―日本統治期朝鮮半島を中心として」、第2部が「日本統治期朝鮮半島関連アーカイブ研究の展望」という題目で行われました。これは第1部において理論及び実証研究の発表を行うことでその問題点を議論し、第2部においてそうした植民地研究を今後アーカイブズ学がどのように貢献できるかを議論するという構成になっています。第1部と第2部の議論が直接的に連結されているわけではありませんが、単に理論的な議論を行うのではなく、そこにアーカイブズ学の議論を加えることで、より重層的な植民地研究がなされていくことを期しました。「Ⅱ 植民地シンポジウム」において詳細を報告させていただきたい。 ②事実に基づいた歴史を構成 これに関しては木浦における民衆史研究において行ってきました。植民地期を論じる上で、出所の確かな資料を入手することは急務です。そこでわれわれは植民地期に朝鮮に住まわれた日本人の調査に着手してきました。そうした人々から貴重な意見を聞くことは重要ですが、まずその下準備として、どのような方が住まわれ、どのような仕事をなさっていたか、またそうした情報の出典のデータベースを作成しました。「Ⅲ 木浦資料集」において詳細を報告させていただきたい。 植民地朝鮮に関する研究は理論においてもそれを実証する面においても未熟な段階にあるといえます。単に二項対立的な理論を脱却して新たな理論を構築していくとともに、それを実証しうる資料を学問的に整理してきました。また、実際にその当時生活されていた方から証言をいただくことは時間との戦いであり、そうしたオ
玄承恒先生との共同調査ーー.済州島出身者の祭儀の実相
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.済州島出身者の祭儀の実相 朝鮮時代済州島の行政区域は済州牧、旌義縣、大静縣であったので、この地域の済州島出身者を対象とする。実際、彼らが渡日して行う葬礼と祭祀の実状を見てみると次の通りである。 事例1(姜辛五、84歳 福岡市博多区上川端町) 大静13年、13歳で渡日した姜辛五は一世として初めは大阪で生活していた。福岡では衣類商をしていて生活は裕福な方である。居留民団団長までしていた経歴があり、今は顧問として活動中である。 私は8男妹中の末っ子で日本には一人できた。大阪で大変だったので日本人がやらないような仕事をして暮らし戦争が終わると故郷に戻ろうと下関に行ったのだけれど、済州島へ行く途中お金だけ盗まれて水葬されてしまうという噂があり行けずに留まるようになったのが福岡である。妻は昭和15年、海女の仕事をしにき、その後結婚した。子供は三男一女と多い方で祭祀の時にはみな参席する。 祖上祭祀は故郷で行うのだけれど、私は日本で父母の祭祀の日になると、心残りに祭祀を行う。祭物はご飯と煮物、果物、串焼き、野菜など済州都道いつである。魚は鱗をはがし内蔵を取りだし塩漬けにして串に通しまっすぐにして焼いて祭床に供えるときは串をはずす。故郷でもこのようにした。 祭祀の日になるとよる八時頃から祭物を供える。紙榜はない。父母が早く亡くなったので写真もない。字を知らないので紙榜は書けない。陳設は左脯右醢、魚東肉西、紅東白西などの原則により祭床の前には香床を置き、茅沙と香炉、香盒などを置くのだが、茅沙は正式のものではなくお皿にワラビを三本のせて茅沙の代わりとする。門前祭床はなく、祭物は誠意と考えられているので可能な限りおいしいものをたくさん供える。それまでは夜12時になると祭祀を行ったけれど子供たちは仕事、孫たちは学校があるため参席しづらくなったので、時間をずらすしかなかった。それで祭祀の時「母、父、子孫が参席しづらくなってからは9時に祭祀を行うので参席してたくさん召し上がれ」と告げた後から9時になると行祭する。これが道理ではないとわかっているのだけれど、私一人だけで祭祀を行うこともできず、子孫がいなければならないためにどうすることもできない。それで何度か祭祀を行うたびにお酒を差し上げた後「正式にできないことを許していただきたい」と何度かお詫びしている。 事例2(
同窓会一覧
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*同窓会関連資料 京城帝國大學一覽、昭和 6 年 - 昭和 17 年 [ 京城 ] : 京城帝國大學 , 1931.7- 京城法學會論集第 1 冊 京城帝國大學法文學部 [ 編 ] 東京 : 刀江書院 , 1928.11 523p ; 23cm 京城帝國大學大陸文化研究會パムフレツト 京城帝國大學大陸文化研究會 , 1939.3- 龍山公立中学校創立七十周年記念誌 龍山公立中学校創立七十周年記念誌 編集委委員会編 -- 龍山公立中学校同窓会 , 1988 , 467p. 新義州公立中学校 20 年史 義中史編集委員会編 -- 義中会 , 1977 , 192p ( 図共 ). -- ( 回想譜 ; [ 正 ]) 大邱公立中学校 戦前 0 、 1 冊1枚 大野書店(古本屋) 1,000 円 京城中学卒業五十周年記念誌 京喜会 京喜会「仁旺ケ丘」発行実行委員会 , 1982.1 : 621p ; 22cm 編集 : ゆまに書房 折り込図 2 枚 付 ( 図 1 枚 ): 思い出の京城校史年表 :p556 ~ 558 郷土資料京城五百年 京城府公立普通學校教員會編纂 横山彌三 : 新開明雄 ( 発売 ), 1926.6 : 4, 1, 10, 134p ; 19cm 京城醫學專門學校紀要 第 4 卷 昭和 9 年 1 月 -12 月 , 第 5 卷 昭和 10 年 1 月 -12 月 [ 京城 ] : 京城醫學專門學校 , 1934.12- 一粒の麦 : 京城高等商業学校創立 70 周年記念文集 京城高等商業学校 ( 同経済専門学校 ) 創立 70 周年記念文集編集委員会編 東京 : 京城高等商業学校 ( 同経済専門学校 ) 同窓会崇陵会 , 1990.11 : 487p ; 27cm 釜山公立高等女學校資料 巻 1 , 巻 2 , 巻 3 [ 釜山 ] : [ 釜山公立高等女学校 ], [ 昭和 10] : 3 冊 ; 27 ( 謄写版)和装 釜山公立高等女学校 京畿道公立師範學校一覽 : 創立第二年 [ 出版地不明 ] : [ 出版者不明 ], 1924 : 57p, 地図 1 枚 ; 23cm 会
朝鮮半島に設立された図書館
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釜山府立図書館 慶尚道釜山府本町2丁目 1901 私立順天図書館 全羅道順天邑栄町 1911 江景図書館 忠清道論山郡江景面 1915 金提教育会城山文庫 全羅道金提公立小学校内 1915 霊巌文庫 全羅道霊巌郡霊巌面 1915 論山文庫 忠清道論山郡論山面 1919 大邱府立図書館 慶尚道大邱府東雲町 1919 鉄道図書館 京畿道京城府漢江通 1920 光州邑図書館 全羅道光州邑黄金町 1920 京城府立図書館 京畿道京城府長谷川町 1922 洪城簡易図書館 忠清道洪城郡洪州面 1922 蔚山図書館 慶尚道蔚山邑北亭洞 1922 朝鮮総督府図書館 京畿道京城府長谷川町 1923 仁川府立図書館 京畿道仁川府山手町一丁目 1923 咸安簡易図書館 慶尚道咸安面鳳城洞 1923 東莱簡易図書館 慶尚道東莱邑福泉洞 1923 開城図書館 京畿道開城府大和町 1924 潭陽郡図書館 全羅道潭陽郡潭陽面 1924 谷城郡郷校財産図書館縦覧所 全羅道谷城郡谷城面 1925 密陽図書館 慶尚道密陽邑三門里 1925 御成婚記念海州図書館 黄海道海州邑中町 1925 京城府立図書館鐘路分館 京城府鐘路2丁目 1926 新義州私立簡易図書館 平安道新義州府栄町 1926 馬山福寿会文庫 慶尚道馬山府俵町 1927 准陽簡易図書館 江原道准陽公立普通学校内 1927 清津府立図書館 咸鏡道清津府新岩洞 1927 公州図書館 忠清道公州邑錦町 1928 木浦図書館 全羅道木浦府大和町2丁目 1928 馬
釜山府立図書館所蔵和本の一部
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書名 著者 所蔵番号 万国史略 師範学校 122 河内名所図会 秋里離鳥 4 各官応用新式別記法軌範 網取善成 7 改正★博物筌 貝原益軒 6 歌辞容解 供資規 3 絹水吟吐集 渡辺武助 19 鶏林唱和集 松柏堂 17 古青丘詩鈔 広瀬旭荘 38 孔方図鑑 狩谷懐元 42 紀事国史提要 石橋奎 62 国史★ 重野安釈 60 奇抄百円 河邨 77 紀事論説 西村義民 75 碁理明弁 増野透 74 近世名家詩抄 ?? 70 広益秘事大全 13 老子道徳経 木山鴻吉 84 老人必用養草 香月牛山 83 浪華帖仮名 森川世貞 82 内閣列伝 井上角五郎 80 幾何学列伝 山本正至 78 大岡仁政録 未詳 92 大日本史料 徳川光圀 99 都名所図会 秋里離鳥 100 唐宋詩源 鎌田禎 106 当流算法重宝 未詳 105 1字熟字読書操★ 大野太衛 115 読史余論 新井白石 114 民法論綱 ?? 151 民間医治須知 ?? 150 物理全志 ?? 149 四対千字文 湯川悟憲 169 四声玉篇和訓大成 中野煩 168 佛国司法三職考 井上毅 163 西国立志編 ?? 181 西洋事情 福沢諭吉 184 格勃窮理書直訳 魚沼正安訳 65 蘆洲詩鈔
釜山府立図書館所蔵本数
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和漢書 洋書 計 会館日数 閲覧人数 1日平均 経費 昭和10 13697 496 14193 289 22376 77 3253 昭和9 12922 496 13418 289 21025 73 3165 昭和8 12501 496 12997 289 21795 76 3199 以上昭和11年43頁 昭和7 11977 496 12473 288 21063 73 2621 昭和6 11603 493 12096 284 21542 75 2427 昭和5 11283 493 11776 288 21984 76 3276 昭和4 10820 441 11261 289 21881 76 3248 昭和3 10762 407 11169 261 180403 70 3885 昭和2 9778 399 10177 291 20906 72 3865 昭和1 9253 399 9652 283 19197 68 2884 大正14 7978 288 8266 289 18192 63 2792 以上昭和9年50頁 大正13 7830 287 8117 273 14762 54 2356 大正12 7739 287 8026 291 20436 70 2045 大正11 7620 286 7906 295